小学校時代は、学校の先生、野球部の監督、書道の先生など、沢山の人に影響を受けました。ホントに大人らしい大人、言い換えれば落ち着いて余裕があったように思います。
中学校時代はどうだったか、と先日から考えていたんですが・・・・思いつかない。
ちょうど『少年』から『思春期』に向かう過程の中にあって、自分の気持と体のバランスに四苦八苦してたように思います。
中学生になっても街の少年野球(軟式)はやっていました。ただ、指導者はいなく、部員も15人全員同級生という、ちょっと変わった野球部でした。
練習も自分たちで考え、試合の時だけ大人の力を借りていました。
先発メンバーも自分たちで話し合いで決めて、それでもそこそこ強かったんですよ。
守口市で優勝か準優勝をしていました。ですので、野球には熱中していました。
中学校生活では、ちょうど『校内暴力』が大流行していて、学校に行くのが怖かった時期でもあります。『なめ猫』も流行っていました。
それらの生徒に対抗するために、教師も怖い教師が多かった。
すぐに殴ってくるし、蹴ってくる教師がかなりの数いましたね。
今ではそんな事をすれば大問題ですね。
学校生活ではカルチャーショックを受けたのも初めてのことで、さらに面白くなかったように思います。カルチャーショックというのは、中学校になるといろんな小学校の人達が集まってきます。そこで、今まで自分たちの小学校で通じていた事が通じなかったり、予想を遥かに超える頭のいい人がいたり、スポーツ万能の人がいたりと、驚くことが多かったんです。
なんだか大勢の中の一人、という感じを受けてしまい、明るさが少し失われた時代でもあります。
中学校の思い出といえば、家から中学校まで遠かった、という記憶しかありません。
片道約2.5km。時間にして早足で30分の道のりを、重たいカバンを担いで雨の日も風の日も毎日毎日歩いた、嫌な記憶。
私が卒業するかしないかの年に、地下鉄(現大阪メトロ)が開通し、後輩たちは地下鉄でゆうゆうと通学していました。
まったく暗い中学校生活か、といえばそうではありません。
それなりに友だちもできたし、運動神経も磨かれた時代でもありました。
ただ、現在中学校時代の友達とは音信不通になっている事が全てを物語っていますね。
中学校時代は『影響を受けた人』はいませんでしたが、成長をした、という実感はあった時代です。