私は高校を卒業後、大阪の松原職業訓練校へ行きました。
就職する、という事も考えましたが、その時点で『何がしたい』という事もなく、バイクが好きだったこともあり、周囲からは『手先が不器用なんやから無理や』と言われながらも、整備士になるべく整備科に行きました。
自宅からは通えない距離ではなかったのですが、親と折り合いも悪かったので、一人暮らしをしました。
松原駅前で家賃1万5千円。風呂なし共同トイレ(汲取式)、水回りも共同でした。
部屋は傾いていて、布団を敷く向きを考えないと、朝起きたら頭に血が上ってたりする、なんともアメージングなアパートでした。
職業訓練校にかかる費用と生活費を自分で稼がなくてはならなかったので、引越し後すぐにバイトを探し、あっさりと駅前のハンバーガー屋さんに雇ってもらえました。
それが今から37年前のこと。時給は500円でした。
バイトのシフトをできるだけたくさん入れてもらえるように交渉し、週末は8時間働く、という生活。
洗濯機が無いため、たらいに洗濯板でアパートの共同炊事場で洗濯していました。
最初のうちはそれでもちゃんとした生活ができていました。
職業訓練校で勉強しながらバイトし、楽しい日を過ごしていたのですが、なにしろバイト代が月に3万5千円ほどしかなく、家賃を引くと手元には2万円しか残りません。
教材費なんかは実費だけだったので助かっていましたが、なんせ食べていかなくてはなりません。
生活していく中で、洗濯・風呂・食事と、いろいろお金のかかる事があり、2万円ではそれら生活していく上で必要な項目全てをするには無理な状況でありました。
そこで、洗濯は極力『しない』ように生活し、周囲から注意されるまで洗濯しませんでした。(下着や靴下は”洗濯板”でしていました)。風呂は5日に1回です。思春期を少し過ぎた男子の体臭は、それはそれはクサかったと思いますが、これも嫌な顔されるまで我慢です。食事は1日1食(晩御飯だけ)にしました。それもバイト先のハンバーガーが廃棄処分になった物を、こっそりと拾って(一応形式上ゴミ箱に捨てる。包み紙ごと捨てるので、拾っても食べれる)、晩御飯としました。
まぁ、悲惨な生活です。
部屋にはテレビも冷蔵庫もなく、テーブルが1つあるだけの部屋で生活していましたが、楽しかったんです。お腹が空くこと以外は。
そんな生活も半年が経つと、体重もどんどん減って、しまいには朝の起床時に、体中がしびれたような感じがして、起き上がれないようになりました。
自分でも『あぁ、物食べてへんからやわ』と自覚していましたが、それも後の祭り。
毎朝和歌山から通学してくる友達が、起こしに来てくれるんですが、その日はその状況を見て、担任の先生に報告し、ビタミン剤をもらってきてくれて、それを飲むと翌日は体の調子も上向いてきました。
それに懲りればよかったんでしょうが、いかんせんバイト代が増えることがなく、同じような生活を余儀なくされ、卒業間際にも同じように『栄養不足』と思われる状況になってしまいました。(この時は危うく病院行きになりそうだったので、実家に強制収容されてしまいましたが)
1人暮らしの期間はちょうど1年。
その1年の間に一生分くらいの『ハンバーガー』を食べたつもりでいました。
が、今も週イチくらいで食べているんですよねぇ。
何となく思い出したのでブログに書いてしまいました。