今週のお題「自由研究」
私が小学生の頃(今から45年ほど前)、『自由研究』という夏休みの宿題は無かったように記憶しています。
ただ、『無かった』という確たる自信はありません。といいますのも、私は小学生の頃、夏休みの宿題というものを全てやった記憶がないからです。
国語・算数・社会は好きだからやっていました。
それ以外の宿題(日記だったり、朝顔の観察日記など)は、ほぼ記憶にありません。
おそらく確信犯的に『していかなかった』んだと思います。
もちろん、宿題をしていかなければ先生に怒られます。
昔のことですから、担任の先生によっては厳しい体罰を課されることもありました。
まぁ、それでもしませんでした。
じゃぁ何をしていたのか?
それは、毎日友達と遊んでいたんです。
朝から夕方までいろんな遊びをして一日を過ごしていたんです。
私が本当に好きだった担任の先生は、宿題をしていかないと怒るのは怒るのですが、体罰まではしませんでした。その担任は『夏休みの一番の課題』として、2学期の最初の登校日に、先生よりも日焼けしていなければ『ゲンコツ』する、というものでした。
夏休みの半ばころに『登校日』があり、その時に先生の腕と生徒一人一人の腕を見比べて、「このままやったらゲンコツやな」とか「すごい日焼けしてるな。宿題も忘れたらアカンで」など、全員に声掛けをしていました。
まぁ、そんなおおらかな環境の小学校だったので、『自由研究』というもの自体があったのかどうか。
私が『自由研究』という言葉と出会ったのは、30歳前後だったろうか。
周囲が『親』になり、子育てをしている家庭に遊びに行く機会が増えた頃でした。
当然、子供の話題が中心になり、夏なんかだと『夏休みの宿題』の話題が自然と出てきます。
そこで友人と『自由研究』の話になり、二人して「俺たちの時には『自由研究』ってなかったよな?」という話をしていました。
今思うと、小学生時代に私と一緒に朝から夕方まで遊んで、夏休み明けには一緒に担任に怒られていた仲間のうちの一人ですから、「自由研究ってなかったよな?」という言葉に信憑性はありません。
今では『自由研究セット』などが売られているようですし、自由研究をする意味はあるのかな、なんて思ってしまいます。(宿題もろくすっぽしていない奴が何言ってんねん、というツッコミは甘んじて受け入れます)