中学時代の思い出を書いたら思い出した事がありました。
上の記事と同時期のこと。
当時、バイク好きを通り越して『バイク狂』の友達とよく遊んでいました。
中学校まで2.5kmの道のりを一緒に通学し、国道1号線を走るバイクを見つけては、車種を当て合いしていました。
その頃は土曜日も半日でしたが授業があり、週6日一緒に通学し、バイクにどっぷりハマっていったのです。
その『バイク狂』のKくん、あまりに好きすぎて、自転車であちこちのショールームに行っては、750ccのバイク(CB750だったりZ2など)のセンタースタンドがけをしていました。
ある時、私もその『ショールーム巡り』に誘われ、大阪市内のいろんな場所にママチャリで行く日曜日を過ごすようになります。
特に、新世界近くにあった逆輸入車専門店には足繁く通ったものです。
守口市から新世界まで40分の道のりを、スマホのない時代によく行けたなぁ、と今思うと感心してしまいます。
その時初めて、ハンス・ムートがデザインしたという『刀(GSX1100S)』を見て、感動しまくったんです。
そういう日曜日を送っていた所、『バイク狂』のKくんが、
「大阪市内に、一直線の道路の信号が一斉に”青”になって、1km以上”青信号”になってる場所があんねん」
と自慢げに言ってきました。
「そうなん?でもそんだけ一斉に青になっても1回で行かれへんやろ?」
と私が言ってしまったのが運の尽き。
『バイク狂』のKくんは、
「その案いただき。今度の日曜日、朝5時に集合して行こか」
と有無を言わさぬ圧で言ってきたので、断りきれずに行くことに。
朝5時に待ち合わせ、『バイク狂』のKくんの先導で目的の場所に行きます。
その場所は『船場』。
船場から北浜に向けて一方通行になっている『堺筋』でした。
もちろん、その当時は『船場』も『堺筋』もわからないままでしたが。
さぁ、いよいよその時が来ました。
船場にスタンバイし、早朝の車がほとんど走っていない大きな道路を、一度も信号に引っかかることなく北浜まで行けるのか!
一番近い信号が『青』に変わります。
すると、次々と進行方向の信号が『青』に変わります。
一瞬『おぉ〜』と感動していると、『バイク狂』のKくんが
「モタモタしてたらあかん!!」
と活を入れてくれて、すぐにママチャリを漕ぎ出します。
いくつかの信号を通過し、トップスピードにのったあたりのこと。
後ろから大きめの排気音を鳴らして車が近づいてきました。
近づいてきたのは知っていましたが、私も漕ぐのに必死。車に轢かれない程度に端により、スピードを保ちます。
すると、その車が横付けしてきて、助手席の窓が下りました。
横目でチラッと見ると、『決して近づいてはいけないタイプの車』です。
助手席から顔を出したのは、『三原じゅん子にケバい化粧を施した女性』。
何かを叫んでいます。
私が「えっ?なんですか?」と思わず聞き返してしまい、しまったぁ、と悔やんでいると
「すごい速いね」
と声をかけてくれていました。
やめとけばいいのに
「何キロ出てますか?」
と聞きかえしてしまい『かかわったらあかんタイプの人やのに、また話しかけてしもた』と後悔。
そのお姉さんは一旦助手席に座り直し、運転している『嶋大輔』似のグラサン兄さんに聞いてくれたようです。
「40キロ出てるよ〜」
「ありがとうございます〜」
「がんばりや〜」
と言葉を交わして、『嶋大輔』と『三原じゅん子』は去っていきました。
ホントに40キロ出ていたのかどうかは怪しいですが、相当スピードは出ていたと思います。
結果は・・・・・・1回の『青』で船場から北浜まで行くことが出来ました。
今は気力体力がついていかないので無理ですが、楽しい思い出でした。