人間の味覚は一生のうちで3回変わる、と巷では言われています。
私も例に漏れず、味覚が変わっている自覚があります。
今回は”子供の頃に食べられなかった物が大人になって食べられるようになった物”について書いていきたいと思います。
子供の頃に食べられなかった物が大人になって食べられるようになった物
しいたけ
子供の頃はホントに嫌な食べ物でした。煮物・汁物には必ずといっていいほど入っていました。いつもお腹をすかしている状態だったにも関わらず、しいたけが出てくるとテンションがだだ下がりでした。
今はとても美味しく食べています。食べれるようになったのは結婚してから。
嫁が料理してくれる物が美味しかったから。
今では”しいたけ”の良さが少しわかってきています。
魚
子供の頃は貧乏生活でした。今のように食卓に刺し身なんて出てきません。
ですので、中学校を卒業するまで、刺し身を食べたことがありませんでした。
ここでいう”魚”は焼き魚です。
貧乏でしたので、魚といえば『サンマ』・『イワシ』等の大衆魚でした。
焼き魚がメインで出てきたら、御飯のおかずにならなかったので、嫌でしたねぇ。
イヤイヤ食べていたら決まって
「青魚は頭が良くなるで」
と言われました。その言葉さえも嫌でした。
今ではなんとか食べれる、というくらいにはなりました。
食べ方は汚く、ワタの部分は食べない、という食べ方で、娘に注意されながらもなんとか食べています。
みょうが
両親の実家(私にとっての祖父母の家)は福井県です。
私が幼稚園に入園前に数ヶ月、田舎に預けられていた時期がありました。
祖父母宅では味噌汁の中に”みょうが”が入っていたんです。大阪ではそんな味噌汁を飲んだことがありませんでしたし、初めて食べたみょうがの味のインパクトに、すごく嫌な顔をしたんでしょうね。叔父さんに「いやいや食べるんやったら食べんでえぇ」と、食事を全て回収されてしまった思い出があります。
子供にはクセのある味と、叔父さんの事があり、すごく苦手な食べ物でした。
大人になった現在では、みょうがを見かける頻度が少ないんですが、出てきたら美味しく頂いています。
酢の物
酸っぱい物が全般苦手でした。何が美味しんやろ?と子供の頃は思っていました。
ですので、寿司もイマイチ好きにはなれませんでした。(寿司といっても、子供の頃は貧乏でしたので、助六寿司がいわいる世間一般で言う”寿司”だと洗脳されていました。にぎり寿司の存在を知ったのは、やはり中学を卒業する頃でした)
今では、酢の物はやたら食べたくなる時があるほど、好きになりました。
寿司に至っては、好きを通り越して大好物になっています。
マムシ(鰻丼)
これは親にしてやられました。
親「マムシ、食べたいなぁ」と。
子供の頃の私「えっ?マムシってあのヘビの?」
親「(ニヤニヤしながら)そうや、おいしいでぇ」
私「・・・おぇっ!!」
こうして私は鰻丼を食べられない時期が続きました。
ちなみに大阪で『マムシ(丼)』というと大きな括りで『鰻丼』のことです。
社会人になってから、食べれるようになりました。
岐阜県の美濃加茂市で食べた鰻丼はホントに絶品でした。
その鰻丼を食べてから好きな食べ物になりました。
屋号は「関辻屋 支店」です。
納豆
子供の頃は納豆を見たことはありませんでした。大阪での認知度はかなり低かったと思います。
初めて見たのは20代半ばだったと思います。匂いがダメで、完全に食わず嫌いでした。
結婚後、テレビで「納豆は健康にいいぞ、という番組」が次々と放送され、嫁に食べるように言われて、最初は渋々食べました。
今は、納豆に卵としょうゆを混ぜてご飯にかける、という食べ方限定で食べれます。最近は匂いの少ない物も出回っていますから、匂いは気になりません。
インスタントラーメン
子供の頃のインスタントラーメンは美味しくなかった(子供の味覚には合わなかった)。袋麺もカップ麺も全く美味しいものはなかったし、今のように種類もありませんでした。
現在では『困った時はインスタントラーメン』という具合になっています。
この40年でかなり美味しくなりましたしね。
おわりに
私は『食べ物の好き嫌い』が激しい方でした。
食わず嫌いの食べ物も多数ありましたし。
子供の頃は『嫌いな物』が多かったんですが今ではそれらも美味しく食べられるようになりました。
それって幸せなことですね。
食べ物を美味しく食べられることに感謝です。