宇治市には有名な寺社仏閣がたくさんあります。
平等院鳳凰堂・宇治神社・宇治上神社・三室戸寺・黄檗山萬福寺など、世界遺産も含めいろいろと楽しめます。
私は『城』や『寺社仏閣』が好きです。
好きなんですが、深く掘り下げてというところまでではありません。
ただなんとなく、雰囲気だったり建造物の美しさを見るのが好きです。
ですから、マナーなどはあまり知らず、失礼な事をしていると思います。
今回紹介するのは、そういう有名所なものではなく、住宅街に取り込まれたような、小さな小さな神社【末多武利神社】です。
読み方は『またふりじんじゃ』だそうです。決して暴走族が当て字でつけた名前ではありません。(こういう印象を持ってしまうところが”マナー知らずのバチ当たり”なんでしょうね)
なるべく周囲の住宅が写らないよう、トリミングしてますので、あまり雰囲気は伝わりませんね。入り口にはドド〜ンと電信柱が立っていますし、右端の緑色のカゴはゴミの集積用。どうにも可哀想な佇まい。
場所は京阪宇治駅から宇治神社・宇治上神社へ向かう参道の途中にあります。
上の写真の電信柱の後ろに説明板が設置されていました。
なんだかおどろおどろしい説明が書かれています。
怨念が渦巻いているのか?
入って大丈夫なのか?
というより、そんな”怨念がどうのこうの”という説明にしては、扱いが雑すぎないか?
(電信柱が入口にあったり、住宅街に取り込まれていたり、ゴミの集積場になっていたり)
鳥居の正面(入口前)からの写真。
この写真の右側に存在感のある電信柱が立っています。
人が一人通れるほどの幅で、ホントに『こじんまり』という言葉がピッタリです。
『紀元二千六百年記念樹』という石碑。
あまり”紀元”というのがピンとこなかったので調べてみました。
ここでいう紀元とは『神武天皇が即位した年を出発年として数え、西暦でいうと紀元前660年にあたる』とのこと。
ですので、紀元二千六百年とは西暦1940年(昭和15年)に神武天皇即位2600年の事で、『紀元二千六百年記念行事』なるものが敢行されたようです。
その時の記念樹のようです。
これは『祠』になるんでしょうか?
非常に『こじんまり』が当てはまります。
賽銭箱も設置されていますが、今日は賽銭はしてきませんでした。
ウォーキング最終日(今の所6月29日)に立ち寄って賽銭してこようと思っています。
本文中に『扱いが雑すぎないか?』と書きましたが、神社の中に入ると、その思いは一瞬で吹き飛びました。
神社内は非常に綺麗に掃除が行き届いており、地元の方々に愛されている、という印象を受けました。
普通に参道を歩いていると見逃してしまいそうな【末多武利神社】。
もし宇治に来られることがありましたら、ほんの少しの時間でいいので立ち寄ってみてください。