前回のブログでは、ICUで一晩を過ごし、午前中に病棟に戻ってきて昼ごはんを食べたところまでを書きました。
今回は昼ごはん後の話を。
昼ごはんを苦労しながら食べた後、体が怠くてぐったりしていました。
看護師さんが血圧と熱を測ってくれたら、血圧は140/90くらいに下がっていて、熱は37.5℃と微熱が出ていました。
普段熱が出ないほうなので、少しの熱でもグッタリしてしまいます。
抗生物質や解熱用の点滴などをしながら過ごし、夕方はリハビリの先生が来てくれました。
当然のことながら、自分で起き上がることは許可されていない(というか首に力が入らないので、自力で起き上がるのは大変)ので、電動のベッドを駆使し、約45度まで起き上がり、リハビリの先生と看護師さん2名の計3名に見守られながら、ベッドに腰掛ける形になります。
一連の動作で、条件反射のように起き上がろうとしましたが、その都度注意されて腰掛けた状態に戻されます。
私の首にはカラーが巻かれています。
ICUで目が覚めた時にはすでに装着されていました。
カラーの素材は軽く、そんなにガチガチではありません。
首の後ろでマジックテープで調整します。
ベッドに腰掛けた姿をみていて、リハビリの先生が
「少し歩いてみましょうか?」
と聞いてきたので
「ハイッ!!」
と返事し、歩く気満々で待機。
看護師さんが歩行器を持ってきてくれました。
病院でよく見るこれです。
まさか自分が使うことになるなんて、という感じでしたね。
微熱と麻酔の影響でかなりの時間寝ていたので、頭がクラクラしています。
それじゃあ歩きましょう、ということで歩きます。
後ろには看護師さんが点滴やらおしっこの管やらを捌いてくれています。
病棟内の廊下を、歩行器を使ってゆっくりゆっくり歩きます。『ゆっくり』を意識しないとスタスタと歩いてしまいそうなので、自分に『ゆっくり』を言い聞かせます。
看護師さんが
「痛くないですか?」
と聞いてくれたので
「うん、ちょっと・・・・・・痛いです」
と正直に答えます。
すると、その答えにその場が色めき立ちました。
「どこがどれくらい痛いですか」
と畳み掛けるように看護師さんが聞いてくれます。
私は
「あの・・・その・・・・おしっこの管が揺れて・・・・・・」
それで察してもらいました。
約40mをゆーっくり歩き、ベッドに戻りました。
リハビリの先生からは、「自分でトイレにも行けそうなら行っていいよ」と、ありがたいお言葉を残し帰っていきました。
(ほとんどの人が手術の翌日に歩くことができないそうです。私の場合は例外だったようです)
歩けることを確認してくれた看護師さんが
「おしっこの管を抜きましょうか」
と提案してくれました。
私は早く管は取ってほしかったんですが、30年前のトラウマが蘇ってきて、一気に緊張状態になります。この入院期間中、一番の緊張だったと思います。
そのトラウマとは・・・・・・
30年前、腰の椎間板ヘルニアの手術をし、手術翌日におしっこの管を抜いてもらったんです。その時に、管がなかなか抜けなくて、私は病室内で大騒ぎしてしまいました。
「出る〜、あー出るで。あかん、なぁ、出しても良い?出してもいいん?」
と、字面だけを見ても『下ネタ』そのもの。時代が時代なら『セクハラ』と言われそうな言葉。
結局、管を抜いた後に出血が多く、3日間は排尿時に激しい痛みがありました。
こういう出来事を看護師さんに伝え、何度も「痛くないですか?」と確認してしまいました。
で、管を抜いてもらったのですが、全然痛みはなく、違和感だけで済み、かなりホッとしたのか、看護師さんに「良かったですね」と言われる始末。いやぁ、ほんとに安心感に包まれていましたよ。
おしっこの管を抜いた後、担当医が来てくれて、傷口のドレーン(手術部分に出ていた血を抜くための管)を抜いてもらいました。
抜く前に看護師さんも担当医も
「かなり痛いと思うけど・・・・・・」
と脅かされましたが、チクッとしただけで、おしっこの管を抜くことに比べれば屁でもない痛さ。
この時点で、私の体から出ている管は点滴だけになりました。点滴は夜寝る前に1時間ほど抗生剤のものをしてもらうので、それが終わると体についている管は全てなくなります。
夜ご飯もしっかりと食べれました。もちろん嚥下のしにくさはあり、飲み込み時に痛みがあるものの、完食です。
さすがに写真を撮る気にはなれず、写真は無し。
麻酔の影響とはいえ、かなりの時間寝ていたので、寝れる気がしなかった。
看護師さんに眠剤をもらって寝ましたが、あまり寝られなかった。
傷口の痛みは無く、カラーで首の自由は制限されているものの、不自由するほどでもなく、安心しました。