日々の雑感!他愛のない内容のブログ

ふと思い立ってブログを始めます。ブログのジャンルとしては雑記ブログとなります。

バイクツーリングの思い出【能登半島編】

あぁ、バイクに乗ってツーリングに行きたい!!と思い続けて23年。

バイクを(一時的に)降りたのが23年前。もう完全にバイクを降りた状態ですが、気持ちの中では『一時的に降りている』と思っています。

今回はバイクツーリングの思い出を書いてみたいと思います。

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北海道ツーリングについては簡単に記事にしています。

 

www.beedakun.com

 

 

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今回は能登半島へ行ったときの思い出を書いてみます。

 

今から30年ほど前のこと。

整備士をしていて、私のことをよく面倒見てくれていたN先輩と同期だけど3歳年上のUくん、全く交流のなかったT先輩(N先輩と仲が良かった)で能登半島に向けてツーリングに行きました。

 

それはいつも突然でした。

N先輩は腕白坊主を大人にしたような、とても素行の悪い行動力のある方でした。

N先輩はなぜか私のことをいたく気に入っていて、事あるごとに遊びの誘いの電話をしてきてくれます。それ自体は大変嬉しいのですが、困ったことにいつも突然なんです。

N先輩「おい、びだくん!今何してんねん」

私  「いや、何もしてませんけど」

N先輩「そしたら今から1時間後に〇〇に集合な。泊まりの用意してこいよ」

と言うや否や私の返事を聞く前に電話を切ってしまいます。

今回の能登半島ツーリングもそんな感じで招集をかけられました。

それも仕事終わりに。

 

夜に仕事を終えて、家に帰るとすぐにN先輩からの招集電話。まるで私が帰ってくるのをどこかで見ていたかのようなタイミングで。

『これだけタイミングの合う人って、きっといい繋がりなんやろな』と思いながら、ツーリングの用意をして、大阪の平野区にあるびっくりドンキーに向かいます。(集合はいつもびっくりドンキー。今ほどあちこちに店舗があったわけではなかったので、物珍しさもあって、びっくりドンキーがその当時から好きでした。)

N先輩からの有無も言わさぬ招集も、腹立たしいことは一度もありませんでした。他の人がそういう事をしてくると、相当腹が立っただろうな、と思ったりします。

 

能登半島に向かう道すがら、特に記憶に残っているのが『なぎさドライブウェイ』。

砂浜を車やバイクで走れる、とても気持ちのいい道路。

波打ち際がすぐそこに、というロケーションにとても感動しました。

日本海の雄々しい海に触れ、テンションが上ったことを覚えています。

 

いつもN先輩との宿泊ツーリングはテント泊でした。

今回も「テントを持ってくること」という指令があり、初日は砂浜ではなく石のゴツゴツした海岸でテント泊。

翌日にその『なぎさドライブウェイ』を走り、能登半島の先端に向かい、バイクを走らせ、日が暮れてから禄剛崎に着く。

結構みんな疲れていたのか、その晩は宿をとろう、という事を即決し、禄剛崎灯台の近くの『画廊民宿』に宿泊することに。(屋号は忘れてしまいました)

宿のご主人はおしゃべり好きで、たくさん話しをしてくれるのですが、方言がきつくて全く何を言っているのかわかりません。唯一、そうホントに唯一わかったのが、

「方言がきつくてわからんやろ?」という言葉だけ。

その言葉が幾度となく出てきて、そのたびに私達4人は大きく首を縦に振りますが、ご主人は意に介さず喋り続ける、という無限に続くんじゃないか、というおしゃべりタイム(私達はきき役)が終わり、私達は夜の禄剛崎灯台まで散歩。

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そこで夜空を見上げた途端、思わずため息が・・・・・。

満天の星空がそこにありました。

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もう感動で涙は出るし、首は痛いしで大変でした。

それから30年ほど経ちますが、あのときの満天の星空を越えるものは未だに見たことがありません。

 

能登半島に行ったのに、輪島の朝市にも金沢にも行かなかったけれど、とても思い出深いツーリングでした。

 

そのツーリングに行ってから10年後には、嫁と息子を連れて車で再び旅行に行ったくらいです。(残念ながら禄剛崎灯台へは行けませんでしたが、なぎさドライブウェイ、ヤセの断崖に行ってきました)

バイク王

 

能登半島って魚は美味しいし、自然も多いので、とても魅力のある所です。

みなさんも機会があれば行ってみてください。