毎日暑い日が続きます。
皆さんは体調を崩されていないでしょうか?
私はこの、夏の暑い日が続いたときに思い出すことがあります。
それは、高校の時の野球での練習のこと。今から38年前の夏です。
私は高校で1年間だけ硬式野球部に入部していました。
その時の『夏休みの練習』が非常にキツくて、今の基準に照らし合わせると完全に『アウト』な練習をしていました。
『昔の常識は今の非常識』という感じですね。
だいたい1日の練習メニューはこんな感じでした。
(部室の鍵当番が1週間毎に回ってきますので、鍵当番のときの時間を見てみます)
5:00 起床
6:00 部室の鍵を開ける
6:15 グランドの整備(1年生のみ)
7:00 練習開始
12:00 午前の練習終了
昼休み
13:00 練習開始
16:00 休憩
16:30 練習開始
18:30 練習終了
19:00 帰宅
21:00 夜練習開始
22:30 夜練習終了
これを見てお気づきでしょうか?
今ほどではないとはいえ、38年前の夏もやはり暑かった。
当時は気温が35℃を超えると驚いていたくらいの状況。
そう思うと今とは2℃〜3℃は違う気温でしたが、それでも暑い。
12時間以上練習しているのに、休憩は昼の1時間と夕方の30分だけなんです。
当時は『練習中は水分を摂るな!!』が世間一般の意見でした。
まだ『熱中症』なんて言葉もなく、『熱射病』や『脱水症状』という言葉が主流。
練習中に気分が悪くなって、動きが悪くなれば『根性がない』・『体力がない』というレッテルを貼られ、練習後には気合を入れるという名目でシゴかれる(シゴキの内容は割愛します)
今、そんな練習をすると大問題ですね。
ですが、38年前は常識だったんですよ。
よく体を壊す者がいなかったな、と感心しています。
私はセンターを守っていましたので、1日中学校内で練習し、常に『みず〜〜』『あかん、みず〜』と、うわ言のように言っていたのを覚えています。
ピッチャーは別メニューが許されていました。基本は学校内での投げ込みや走り込みをしていましたが、1にちで体力が一番きつい時間帯(15時〜17時)は、『走り込み』という名目で学校外を走りに行きます。
恐らく彼らは小銭を持って走りに行っていたのだと思います。
彼らに「どこまで走りに行ってるん?」と尋ねると「京橋までや」と言っていました。
往復したら約15kmほど。それまで練習しているので、一生懸命走って帰ってきたらかなりキツイ距離。
にもかかわらず、投手陣はみな涼しい顔をして帰ってきます。
野手陣はあおういう投手陣を見ても、文句を言う体力も気力も残っていないので、投手陣はさらに図に乗る。
夏休みが終わる頃には『走り込み』が夕方だけではなく、午前にも登場するようになりました。
野手の連中は昼休み、持参した弁当に箸をつけられないほど疲労困憊(朝から水分を摂っていないので当然といえば当然)なのに、投手陣は夏休み後半には食欲旺盛。
まぁ、そんなに練習していても毎年4回戦止まりの戦績だったので、そんなに強くない野球部でした。
それもそのはず。厳しい練習をしていても、大半の部員の意識は『どうやってみんなの目を盗んで水を飲むか』に向けられていたのですから。決して『野球をうまくなろう』『こういうプレーを確実に出くるようにしよう』という意識は欠片もないのですから。
私の同級生の奴の中には、トイレの水を飲んだという者も少なくありませんでした。
また、わざとエラーをして、それもそのエラーをしたボールが体に当たるようにエラーをして、体にあたった瞬間、ものすごく痛い演技をし、しばらく休ませてもらったり。
まぁ、そういう演技は上手くなります。(決して演劇部ではありません)
恐らく、今のように練習をしながらも『水分補給』も定期的に行う練習をしていたら、私ももう少し野球が上手になっていたと思います。
ただ、そんな狂気に満ちた炎天下の練習でも、今に生きている事があります。
それは水分の補給方法です。
常に脱水状態にあった中で、水分補給をする時間がわずかしかなく、最初の頃はガブガブと体の欲するままにジュースや水を飲んでいました。
すると、昼からの練習や休憩後の練習はすぐにバテてしまい、動きが異常に鈍くなってしまいます。
そこで、飲み方を工夫しました。言葉にするのは難しいですが、ザルのようにガブガブ飲むのではなく、口をすぼめて、少量ずつ口に含み、喉の乾きをいやす、という感じです。
これが良いのかどうかわかりません。脱水状態なのに水分を少量しか取らないのでね。
ですが、これだと休憩後もバテることが少なかった。
その水分補給方法がいまも役に立っているのです。
高校で野球部に入部していた1年間は私の『黒歴史』です。
ただ、その苦しかった1年間は今も『夏を乗り切る原動力』になっています。
他にも『昔の常識、今の非常識』はあるんでしょうね。